どうして日本は倭と呼ばれたのか
A「我らの国」「倭」
B日本原住民が従順そのん意味で「倭」
C背が丸く曲がって低い「倭」
Dはるか遠いところ「倭」
倭という感じが醜い意味を含むので「和」と改めた。
聖徳太子は「仏教」より「天皇」より「和」を重視した。
聖徳太子17条憲法
第1条 「和を以て貴しと為す」
第2条 「篤く三宝を敬え三宝とは仏法僧なり」・・・仏教
第3条 「詔を承りては必ず謹め、君は天なり、臣は地なり」・・・・天皇
32名の参加
今年入部は8名
出雲大社では 四拍手の謎
大国主の死こそがこの世を納める大和朝廷にとっては何よりめでたい事。
大国主がこの世に戻ってくることが一番恐ろしい。
そのためには社頭で「死」を呼ぶ「し拍手」を打つのが良い。と考えた。
1、氷川神社敷地内の摂社、摂末社
2、氷川女体神社(竜神伝説のある神社)
3、国昌寺(左甚五郎作品が門にある。竜神伝説あり)
4、清泰寺(武田信玄の次女 見性院の墓所)
5、調宮神社(狛犬がうさぎ)
6、玉蔵院(弘法大師建立)
7、寿能城跡(大宮公園に隣接)
8、普門院(金子大成氏の名前が由来でこの地を大成町という。小栗上野介の碑がある)
9.与野七福神
10、萬福寺(氷川神社内にあった観音寺が廃寺になったとき観音寺の木造の仏像が移った寺)
天津神社 少彦名命(スクナヒコナノミコト) 三の鳥居から入ってすぐ右側
小人の神様 どこからか現われて大国主の命を助けともに国土開発を手掛ける。ある時期遠い国へ去っていく。
この神様をモデルにして「一寸法師」の物語ができた。
神明神社は天照大御神 愛宕神社は火の神 カグツチの神を祀っている。
いそのかみじんじゃと読み神武天皇東征時窮地に立ったときアマテラスとタケミカズチの命が相談して刀を送った。それを使い窮地を脱したがその刀が 御祭神 布都御魂命(ふつのみたまのみこと) となっている。
御祭神
大山くいの命
(山の神)
ご祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと、穀物の神・食物神、転じて商売繁盛の神。スサノオ命の子神)いまでは「お稲荷さん」と親しまれていますが、もとは“稲生り(いねなり)”から“いなり”となったとのこと。
宗像3女神を祀っている、「宗像神社」です。
“宗像三女神”は須佐之男命の子どもといわれていて、大和朝廷によって古くから重要視されていた神様です。
「交通安全の神様」です。
大陸および古代朝鮮半島への海上交通の平安を護る玄界灘の神とも。
対馬と九州大陸の間に沖の島があるがここは島全体が神の宿る島でこの神を祀っている。
向かって右が御嶽神社 左が門客人神社
スサノオの妻の両親の神
地元の神が隠れ神になっている。
大国主の命(別名 大己貴命)と少彦名命を祀っている。